経典とは若い人はあまり馴染みがないかも知れません、年配の人なら大抵知っていると思いますが、釈尊が説いた「お経」の事です。

 人生相談などでは必ずと言って位、経典の話が出てきます、或いは幸福への手引きとしています。

 それは何故かと言いますと、四柱推命などの人生相談は、「気」の働きの不都合によって起こるごく表面的な「吉」「凶」を判断するものであり、経典のように何故幸福になるのか、何故不幸になるのかその根本的な部分を明らかにしたものではないからです。

 もう少し解りやすく言いますと、仮にここに米の苗があるとします、その苗をより品質の良いものに変えていくのが経典であり、これに対してその苗の品質の良し悪しは別にして、その苗の持っている良い面を充分発揮できるようにするのが四柱推命と言えます。

 従って、根本的問題を解決するには、結局経典に辿り着くのです。

経典は全ての根本原因を解き明かす

 そしてこの経典の厳しいところは、「幸」「不幸」の原因はすべて自分にあると説いているところです。

 それは釈尊が悟ったのは、永遠の命ですが、この永遠には当然過去の自身の行いが含まれている訳で、そこには「善行」も「悪業」もすべて含まれており、それが「果報」となって顕われという事です。

 この「業」と言うのは必ずしも今の気持ち(性格)と一致しません、それは別に過去世まで遡ってみなくても判りますが、この世に生まれてきてから今までの過去を振り返ってみれば、昔は良い性格だったが今は悪くなった、反対に昔は悪い性格だったが今は良くなった、このような事があると思います、自他を問わず。

 ですから、今真面目に頑張っていても過去の「悪業」が出てきたり、反対に今不真面目であっても「善行」が出てきたりする事もあり得るのです。

 性格というのは、とかく移ろい易いもので、環境に左右され易いですが、環境に負けない強い心を持続したいものです。

 これが、釈尊の究極の目的は人の振る舞いであると言われる所以です。