釈尊は、今からおよそ二千五百年以上前にインドネパール地方のカピラ国という小さな国の王子として生まれました。

 成長するにつれ自分は何一つ不自由なく暮らしているが、周囲には貧しい人や病気で苦しんでいる人など様々な苦悩に喘いでいる人達が沢山いる事に心を痛めます。

 世の中にはどうして「幸福な人」「不幸な人」がいるのだろうか?

 この疑念は日増しに大きく膨らみ、とうとう意を決して、父や母そして妻子をすてて悟りを得る為に出家してしまいます。

 そして、我々凡人の想像を絶するほどの様々な難行苦行の方法で悟りを求めようとしたが、しかし、どんな方法からも真実の道は得られなく、心身は飢えと渇きで衰弱するばかりでした。

 ある日、ガンジス川のほとりの村で、骨と皮ばかりの体を清めていた訳ですが、そこへ、スジャータと言う村の娘がきて、牛乳粥をくれた、それを飲んだ後、ようやく体力を回復すると近くのブッダガヤの地に移り、菩提樹の木の下で静かに瞑想に入った。 

 この時釈尊は、今までのただの苦行は、何の意味も無いことだと悟り、苦しくも無い、かといって楽でもない、中庸の道を進むことを決めたのである。

 これをみた五人の修行仲間は、彼は修業を捨ててしまったと誤解し、そんな男とは一緒に修行はできないとして、釈尊を一人残して彼らはベナレスという町へ去って行ってしまった。

 一人残された釈尊は菩提樹の下で黙々とひたすらに座禅を続け、そして六年あらゆる魔を打ち破り、ついに暁の明星を見て活然と仏の境地を得られたのである。

 こうして降魔成道した釈尊は、以後80歳で入滅するまであらゆる衆生を説法教化する事に一生を捧げた。

 この説法教化した教えをまとめたのが経典で、その数は八万四千とも言われています。 

 釈尊が悟った根本の真理は一つですが、人それぞれ抱えている悩みは違う訳です、そこで仮の教えとして「貴方の場合はこうしなさい「又、貴方の場合はこうしなさい」と、その人毎に適した教えを説いたのです。

 仏法の教えも「時に叶った」教えというのがあり、釈尊在世の時代はこの仮の教えでも悟りに至ることが出来た訳です。

 今の時代は仏教そのものが乱れて力を失い誤った教えが充満しているので、仏教で心が癒される事はあっても、正しい教えを受け継いだ仏法でない限り、不幸な人生を幸福に根本から転換する事はできません。

怠ることなく精進せよ

 因みにこれは釈尊が最後に弟子達に行なった説法です、以下・・・

 釈尊はいよいよ自分の臨終をさとり、最後の説法をされた。

 二本のサ-ラ樹(沙羅雙樹)の間に横たわった釈尊は

 「阿難よ、お前たちは『師の言は終わった、我らの師はもはやおられない」と思うかもしれない、しかし阿難よ、そう見なしてはならない、私が説き教えた法と戒律とが、私の死後にお前たちの師となるのだ」と説いている。

 死に臨んだ釈尊は、自分の滅後は法をより所とし、法を根本とし、法を師として修行に励んでいくように、幾度も重ねて弟子たちに説いた。

 釈尊の胸中には、恐らく、名声を求めて法を破り、教団を乱した堤婆達多の反逆が、痛恨の出来事として刻まれていたであろうし、指導者を失った場合、恣意に陥りやすい人間の弱さも知悉していた。

 事実、釈尊入滅の直後に、釈尊の死を喜んだ弟子のいたことが、経典に記されている。

 「怠ることなく精進せよ」釈尊は死の床から弟子たちに告げた。

 「比丘たちよ、仏について、法について、僧伽(そうぎゃ)について、あるいは道について、実践について、疑い、疑惑のある者は問いなさい。

 後になって『我らは師に直接お会いした。師に直接お会いしながら問うことができなかった』と後悔することのないように」比丘たちは黙然としていた。釈尊は三度告げたが、比丘たちは三度とも黙然としていた。

 そこで釈尊は

 「比丘たちよ、お前たちは師を尊崇するが故に問わないのであろう、比丘たちよ、友人が友人に尋ねるような気持ちで尋ねなさい」と告げている。

 死後の教団と弟子たちのことを、いかに深く心にかけていたかがわかる。弟子たちに何の疑念も残っていないことを見た釈尊は告げた。「さあ、比丘たちよ、お前たちに告げよう『すべて存在するものは滅する性質のものである。不放逸に精進せよ』と」

 これが釈尊の最後の言葉であった。

 「怠ることなく修行に励め」

 これは釈尊の生涯そのものであったといえよう。

 そして最後の教えとして、弟子にもこのことを説いたのである。

 注 あくまでも法を根本にと何度も言っています、人ではなくあくまでも法なのです、大事とすべきところは・・・人ではありません。

 但し、法が最大事ではあるが、それを保つ人も、法を正しく保っている人は大事なのである。