人間には肉眼の他に四つの眼が加わって五眼という眼がありますが、我々凡人には肉眼の事しか解らないのではないでしょうか。

 五眼とは物心にわたって物事を見極める5種の眼(肉眼・天眼・慧眼・法眼・仏眼)のことで、仏典の大智度論等にあります。

 それでは五眼について順次説明していきたいと思います。

 肉眼とは=さえぎるものがあれば見えなくなる人間の肉体にそなわった目。

 天眼とは=昼夜遠近を問わず見ることができる天人の目。

 慧眼とは=深い知識を得ることによって物事を判断する二乗の智慧の目で、自然の現象などをみて悟りを得る優れた芸術家など。

 法眼とは=衆生済度のために仏法の法則から一切の事物・事象を判断する菩薩の智慧の目。

 仏眼とは=一切の事物・事象を三世十方にわたって見通す仏の智慧の目をいう。

 私達が普段ものを見るのは肉眼ですが、ある程度の知識を磨くことにより天眼(心眼)でも物事をみられるようになると言われますが、それには常に心を清浄に保ち智慧を磨く事を怠らない努力を必要とします。

 心の眼でものごとを見られるようになれば、より鮮明にものごとが理解できるようになりその対処も正確なものになります。

 確かに肉眼では色や形しか解りません、人間の場合なら相手の言った事しか理解できませんが、人間の場合本当の事を言葉にしない場合もありますので、天眼(心眼)が働けばその言葉の奥の意味も理解できるようになるのではないかと思います。

 要するに人の心が読めるという事ですが、これには邪心があってはいくら努力をして心の眼を磨いてもそれが我が身に返ってきますので、意味がなくなります。

 従って本当の智慧とは、如何にして我が心を清浄に保ち続けるか、そこに確かな智慧も宿ります。

同じものを観ても人によりて異なる

 五眼について総じていえば、物事をみてそれをどこまで深く観じ取れるかという事で、そこに個々の違いがあるという事になります。

 参考までに経典にこんな話があります。

 ある時、釈尊はガンジス河を指差し、弟子の一人に尋ねた。

 「ガンジス河に流れるあの水は何に見えるか?」

 弟子が答えて曰く

 「只の水でございます。」

 と、答えた後で釈尊に問い返した。

 「師はあの水が何にみえますか?」

 「私にはあの水は黄金に見える、その訳は全ての生あるものを育むからである」